【塾長コラム】ドラマのごみ箱
ドラマのごみ箱
このコーナーの主旨 |
また、放送禁止用語、差別用語などについての質問もあります。 ことに差別用語に関しては、悪意にとられてはかなわないと、私の中には避けたい気持ちもあったのですが、
プロをめざす人たちにとってはあやまちをおかしてはいけない非常に大事なことなので、 実際に私がプロデューサーたちとの間で議論になった言葉、局の考査にひっかかって使うことを断念した言葉など、
かつてのメモから(今はちょっとどこにしまったかわからないので探している段階ですが)転載しようと思います。 われわれ年代の者には考えられないようなひどい言葉のあやまちが多く、
今の若者たちの言葉の教育はどうなっているのかと、あきれることが多い日々なので、 過去掲載済みの言葉を含め、新しい発見も追加しながら、順次連載をしていきます。
No.1060 私の夏休みD「締めくくり」2008年9月2日
いつの間にやら9月2日、いい加減に夏休みを切り上げるため、かいつまんで書いて締めくくろう。 私が27年前にテレビドラマを書くのを打ち切ったのにはさまざま理由があるが、その最大のものが日本人の変化だった。
美しい日本語、とりわけ「女ことば」が好きだった私は、自分の書く連ドラのヒロインたちに書く台詞を大事にした。 大勢のスター女優たちが、それを美しく表現してくれてご機嫌だったが、
それははフジの土曜劇場「春ですもの」の酒井和歌子・范文雀・沢田雅美の三人娘が実年齢24歳だったころ、 つまりは団塊の世代あたりが最後で、それ以後、日本語から女ことばがなくなっていった。
「今の高校生にいわせれば、××だわ、という表現はおかま言葉なんです」と、
教室のゼミ生だった高校教師の女性からいわれてギャフンとなったのはもう少し後だが、
つまり私の台詞は時代おくれとなり、支持率を失う一方だったのだから、
どこかの総理たちのように、投げ出すしかなかったのである。
未練たらしくねばって自分を貫けば顰蹙をかうだけというのは、採用を取り消された21人の教師の内、
夏休み中に辞職した一人と同じ心境だった。悲しくてもやめるべき理由ははっきりしていた。
アイマイな表現が増えるのも止まるまい。
地震の被害にあった小学校校長の授業再開に当たっての挨拶
「皆で仲良く勉強したり遊んだりすることが大事なのかなあと思います」にはガックリきた。
なぜ大事なのですと断言しない。こういう教育を受けた子どもたちがこれからの日本語を受け継いでいくのだ。
一生懸命敬語を使おうとして使い損なっている20代が私のまわりに急増したのはこの1年だった。
最近驚いた例をあげると、
@貰い物をした女性が相手に礼をいう台詞「ごちそうさまでした。(自分が)おいしく召し上がりました」
A「プロットを(自分が)お書きしましたので添削をお願いします」
B「すいません、(自分の)お仕事が忙しかったもんで遅れました」──幼児語の「お絵描き」は可愛らしいが、大の大人が使ってはしらける。
世間はともかく、物書き志望の人たちにははっきりいわなければ彼ら自身が恥をかく。
これらを私の前でいった人はこれを読む人たちなので、ここに書いておく。
また、台詞なら「お味噌汁」「お食事」もいいが、ト書きに書く人が増えたのも最近の顕著な例だ。
なんでも「お」をつければ日本語というわけではない。
〔もったいない〕〔みっともない〕──どちらも日本語特有の表現だが、今の日本人はすっかり不感症になった。
みっともないマナーや言葉遣いは氾濫している。極端な例で1992〜1993年と資料は古いが、
1年間の国民一人当たりの紙の使用量(文明の尺度という人もはある)は、
アメリカが317.3s、日本が225.4sであるのに対して、イラクは0.5s、アフガニスタンは0.2sである。
これでは教科書やトイレットペーパーどころか想像を絶する不自由があるだろうが、
かくいう私も、原稿用紙時代に較べると、実にもったいない紙の使い方をしている。困ったことである。
諦めない人々──オリンピックで活躍した選手たちによって「あきらめない、最後までやる」という言葉がしばしば使われた。
脚本家志望の人たちにも、そういう人が増えた。
だから私の夏休みは尻を叩かれ通しで、釣りも例年の20%程度しか行けなかったが、
それはそれで、若者たちから勢いをもらったと感謝している。ありがとう! 終り
ついでながら、スポーツ医療のその後。
昨日今日とつづけて行った。今日で7回目である。
年とって足腰が痛くなるのは、左右の骨盤が不均衡になって体が傾くからという説明は1回目に聞き、
私の場合は左の骨盤が悪いとのこと。今日その説明の補足を聞いたが、左の骨盤は消化器系や泌尿器系に関係するそうだ。
右は自分には関係ないせいか聞いたことを忘れた。
昨夜は教室のゼミがあったのだが、生徒たちが私の姿勢がよくなったとびっくりしていた。
たしかに背筋がピンとのびてすいすい若いころのように弾んで歩ける。
腹筋の運動をしてもウェストサイズが減らなかったのに、このところ急に引き締まってきたので聞いてみた。
「腹筋もしまるし、尻も小さくなります」とのこと。
もっともっと体調はよくなりますよといわれてホントかいなと嬉しくなった。
さっき自転車に乗ったら、先日までとは比較にならぬほど力強くペタルを踏んでいた。
自分で書いていて、あまりにも調子よくて嘘つけといわれそうで気がひけるので、もうこのことは書くのをやめる。
いかにも本当ッぽい嘘の面白さがフィクションであり、それを追い求めてきた私は、
いかにも嘘っぽい本当を書くのは不得手なのだとわかった。ともかく、若さの復活は夏休み最良の収穫となりそうだ。
No.1059 私の夏休みC「水戸の雷」2008年9月1日
最近の異常気象はナミではなく、地球終末の前兆ではないかと思うほどの災害が世界中におこっている。
防災の日、メキシコ湾にハリケーンが上陸するとなどというニュースが新聞やテレビを賑わせているいる。
こと池袋に限っていっても、「気象情報」なるものがまるで当らない。
金曜・土曜・日曜の午前は東京は豪雨だというので予定していた車での外出
(昨日本欄に書いた整骨院行き)を取りやめたのだが、実際は朝から晴天だった。
どうしてこう逆ばかり予報するのかと呆れたのだが、東京も局地的に集中豪雨があって崖崩れや床上浸水のところもあったとのことで、
予報が当らないほど地球がおかしいらしい。
狭い範囲の雷雲が急に発生するから予報は困難なのだという説明もあったし、
1日の内でも予報がコロコロ変わる。ことの成り行きをうかがって都合のいいほうへコロコロ考えをかえる奴を日和見というが、
そもそも日和見というのが天気予報官の先輩なのだ。
今のトラックに代わる輸送の大動脈が帆船であった頃、
港々には日和見山とか日和見台といったところに日和見がいて、出航か否かを決めていた。
「待てば海路の日和」といって、天気・風・潮流を待った。
そのころに較べたら人工衛星をはじめ桁外れの費用を投じているのだから、
もう少し当たってもいいような気もするのだが、日和見たちが雲の動き、
風の方向、あの山に××の雲がかかったら雨になるとか、経験とカンをたよりにして予報していたのと同じで、
予報官もやはり科学的な資料をもとに経験とカンにたよるのだろうから、
風の向きが変わったからとコロコロ予報を変えるのもしかたのないことなのだろう。
地球が変化したのなら経験もカンも役に立たず、日和見以上に日和見にならざるを得ないのだろう。
うちの技術スタッフ成瀬君は、盆やすみの1週間ほど、水戸の郷里へ帰っていた。
ところがその間水戸はかみなり天国で土砂降りつづきだったとのこと。
「パソコンがこわれたから何とかして」という知人友人からの電話が殺到して、
せっかくのやすみが休養にはならなかったという。
これまで私は近所に落雷があると、急いでパソコンの電源を抜いていたのだが、
「それでは足らない、電話線から伝わってパソコンがショ−トする場合もあるので
青いコードも白いコード(ネットワ-クケ-ブル)も抜いておいたほうがいい。
電話機がデジタルの人は、電話の電源を切るか、ア−スガ−ドを付けたほうが安全」という新知識をもらった。
かみなりにやられると直すのが大変だし、部品を買わなければならないこともあるというので、
それからは遠雷を聞くとあわてて切るので、仕事にならない。
便利な世の中になったものだと思う一方、その便利さがが地球温暖化を引き起こし、異常気象につながった。
もはや1日も余裕はないのだという専門家の言葉を聞くと、大急ぎでパソコンも自動車も禁止して日和見の時代に戻る以外、
地球を守る手段はないのかと素人は考えるのだが、私はパソコンも車も手放したくはない。
禁止しようという国も絶対ないと思う。それどころか排出ガス規制から逃れよう、自国だけは出し続けたいとがんばる国が多い。
応仁の乱の時叫ばれた「天下は破れば破れよ、世間は滅びば滅びよ、人はともあれ、我が身さえ富貴ならば」の言葉がよみがえる。
それが人類の性(さが)というものなら、やはり地球破壊、人類滅亡というドラマのシナリオは、
エンディングへと進行しつつあるのだろう。
今はどの辺だろう。クライシスか、クライマックスか、水戸の雷も惨劇の伏線の一つなのだろう。
No.1058 私の夏休みB「北島康介効果?」2008年8月31日
職業病、座業の宿命といおうか、長年書くという仕事を続けてきたせいらしい。
50代なかばごろから腰痛に悩まされるようになった。
大学教授、名医といった整形外科医、カイロプラクティック、整体、整骨という人々のこところへ通ったが、年々ひどくなる一方である。
整形外科ではレントゲンをとられ、椎間板に損傷がある、
髄核が脊髄や神経根を圧迫するからあちこち痛むのだと説明され、
接骨院へ紹介されて牽引することになる。毎日通って待たされるというのはとてもできることではないし、
牽引で引き延ばしても立って歩けばつぶれるというのは素人でもわかる。
カイロだの整体だのは痛いばかりで私の場合効き目はなかった。あきらめていた。
ところが昨年暮れ、思いついたアィディアで特許をとろうとして、試作品づくりで右腕に極端に力をいれる作業をしたら、
肩から腕にかけての痛みが残った。若いころから運動などでの筋肉痛はしばしば味わってきたので、
そのうち治るだろうと高を括っていた。ところが3カ月たっても痛みはとれない。整形外科で診てもらうと40肩だとのこと。
そんなに若いんですかと無知な質問へは、いえ20代でもかかるんですと笑われた。
ここでも40肩も腰痛も治らず、年をとるとはこういうこと、
白髪は染めれば何とかごまかせるが、これはもう仕方ないのだと思うことにした。
ところが釣りの季節に入って、右腕が痛んでは非常に差し障りがあることに気づいた。 たまたまテレビで「一日中パソコンで仕事をしている人の職業病で手根関症候群というのがふえている」というのを見た。
症状が似ている。そっちが原因だったのかと思った。そんな時ふと思い出したのが知人の顔だった。 息子さんがたしか整体のようなことをしていると聞いていたのを思い出したのである。
正直どうせまたダメだろうと思いながら電話すると、整骨院ということで開業しているが、 構造医学(私は初めて聞いた)というのだそうで、先生は今北島康介について北京に行っている、 息子はその人について長年修行し、柴田選手を手がけたこともあるという。 ここで私が目の色を変えたといったら軽薄だと思われるだろうか。彼はまったく専門外なのにいやに詳しくアドバイスしてくれた。「年をとると喉の渇きを感じなくなる。コップ半分でもいい。1日何回でも水を飲んで常に胃壁をぬらして胃を防御したほうがいい」なとど。私は早速出かけて行った。
そうか、オリンピック選手にはそういうスタッフもついて行ってるのかと、認識を改めた。
ソフトボールの上野投手が三連投で金メダルをとったばかりだ。
学生野球で三連投してそれきりつぶれたという名投手二人の顔が浮かんで、「時代はすすんだんだな」と勝手に想像をふくらませた。
先々週の金曜日から土・日・月・火と通って、もう初日から効果があらわれ、日を追って痛みがうすらいでくる。 40肩だけではない、腰痛も嘘のように楽になってきた。そう、70%程度痛みが減ったと表現しておこうか。
整形外科医やリハビリなどとはまったく違い、多少マッサージ的なこともやるが、全然痛みはなく、
魔法の手ではないかと思うほど触ったりさすったり腕を曲げさせたりの柔らかな方法なのだから、狐に鼻をつままれたような、というしかない。
さて……治ってきたのも「北島康介効果」で、人間の思い込み、錯覚、あるいは信仰のようなものなのだろうか。
そこまで私はミーハーなのだろうか。いや、そうではないような気がしている。
水・木が休診、金・土はこっちの都合で休んだ。
最初の日に「しばらく通ってください」といわれたので、もちろん完治するまで通うつもりでいる。この結果はまた後日……
No.1057 私の夏休みA「炎天下の格闘」 2008年8月30日
親戚の若者が遊びにきたのは6月の中ごろだった。「雀蜂だ。あそこに巣を作っている」と指さしたのは私の部屋の外で、
ちょっと気づかぬほど軒下の奥まったところだった。「危ないよ。あれに刺されたら病院行きだから」
その時の巣は直径3p程度だった。 何とかしないと危険だと思うものの、小学生だった戦争中、疎開していた広島県の山中で蜂の巣を取りにいった記憶が邪魔をした。 真夏の真っ昼間だった。田舎も食料難で、もちろん甘いものには飢えていた。 無謀にも、パンツ一丁の私は蜜蜂を追って巣をつきとめ、棒でたたき落とした巣を拾おうとして蜜蜂の大群に囲まれ、追われて家へ逃げ帰った。 全身を刺されて寝込み、伯母にひどく叱られた。空襲下の東京で命がけで頑張っている妹の一人息子に万一のことがあったらと、伯母は顔色を変えていた。だが私のほうは、叱られるより何より、頭のテッペンから足の先まで全身が腫れ上がったという痛い痛い想い出である。
飛び交う蜂の数があまり多くなったのでのぞいて見たのは7月22日の昼前だった。 直径7pほどになっている巣を見て、覚悟をきめた。とはいえこの日も暑く、
Tシャツにステテコのまま蜂の巣に立ち向かった私の無謀さは、小学生時代からちっとも進歩していないと気づいたのは、作業終了後のことだった。
まずは蜂たちの外出中を見計らって巣に殺虫剤をぶっかけ、大急ぎで部屋に逃げ込んだ。 途端に数十匹が飛びまわって、洗濯物を干そうとしていた家内は大弱り。
私も前日庭で移植した日々草(中国原種の薬草)の苗に覆いをしなければならない。強烈な日射しにさらされて しおれてきたので、ガラス越しに何時間も庭を見て気を揉んでいた。
蜂たちの姿が見えなくなったので、さては殺虫剤が効いてきて全員討ち死にかと、
急いで苗に日陰を作ってやって部屋に逃げ込んだが、蜂は見当たらない。
もう一度出て行って、今度は入念に殺虫剤をぶっかけて逃げ込んだ。
蜂の姿はないが、家内は外へ出るのが怖くてぶつくさいっているし、私はエアコンの効いた部屋にいても汗が吹き出てくる。 あせっていたのでまた出ていって棒で巣をたたき落として逃げ込んだ。
途端に、どこにいたのかと驚いたほどの蜂たちが庭を飛び狂う。 私はホッとして刺されなかった幸運に感謝し、家内はあきらめて奥へ引っ込んでしまった。
私はさっそく蜂の子をほじくりだした。見えているのは殺虫剤がかかっているから捨て、
蓋があるのだけをフライパンでいって蜂蜜漬けにした。ほとんど成虫に近く、羽をふるわせて今にも飛び立ちそうなのが1匹、
あとはそれに近いものから完全な幼虫まで、丁度60匹だった。
辞書で確認したが、間違いなく雀蜂で、成虫に近いものたちは完全に蓋で覆われて巣の中心にいて、 幼いものほど巣の端の低い位置にいて体をさらけ出していた。
大きくなるにしたがって住処の筒を伸ばしてもらい、最後は蓋をしてもらって巣立ちを待つらしいとわかった。
蜂たちは1週間ちかく庭を飛びまわって巣や子を探していた。 夏負けするなと神があたえてくれた栄養剤だと感謝しながら蜂の子を食べていた私だが、
日を追って可哀相なことをしてしまったと後悔の念がつき上げてきた。 刺されたわけでもない。何の被害もない。平和に子育てをしていた蜂たちをいきなり殺して子を奪うなんて、
テロを恐れて無差別殺戮をしている連中と同じではないか。
それ以来、冷蔵庫に入れたままの蜂の子は、蜜に体液を絞り出されたらしく固く小さくなっている。 まるで中東の貧しい国の飢え死にした子どもたちのように。
晩酌の時、せめてあの蜜だけでもなめようかと思うこともあるが、「他人の幸せを奪って甘い汁を吸う奴」になるから、その気にはなれない。 住人を奪われた巣のぬけがらも、まるで無差別殺戮された廃墟のように、恨めしげに転がっているが、捨てる気になれない。冷蔵庫の中の蜂の瓶、戦利品のようなつもりで書斎に飾った巣をどうするか、思案はさだまる気配もない。
No.1056 私の夏休み@ 2008年8月29日
今年の6月は久しぶりに目が回るほどの忙しさだった。 シナリオコンクールに応募する人たちへの指導に追われたためで、 現役時代に連ドラをかけ持ちしていた頃以上に混乱した。
連ドラの頃の混乱というのは、「日テレに書くドラマのレギュラーの人物をうっかりフジのドラマに出してしまった」といった類で、 3度ほどそのような失敗をしてプロデューサーをびっくりさせた。でもあくまで自分の思い通りに書いていたのだが、塾生の作品となるとまるで違う。
シナリオのシの字も知らない人からセミプロ級まで腕の差がある。
おまけに塾生のほとんどは会ったことがないのだから、どんな性格か、どんな風貌の人かなど、まるでわからない。
シナリオも小説も〔自分の表現〕なのだから、作品とメールのやりとりでその人を探り、生かさなければならない。
暇な時はじっくり考えられるのだが、ドカッと送られてくると期日があるだけに、対応は連ドラかけ持ちどころの騒ぎではなかった。
昨年、毎週土曜日に載せるブログ小説を始めたのだが、その連載も本欄も、中断せざるを得なくなった。 7月に入れば暇になると踏んでいたのだが、ネットの塾生は教室へ通ってくる生徒たちより熱心で、
次のコンクールを目指してがんばり始め、私の嬉しい悲鳴は続いた。 いつもは夏はだれるのだが、それがとうとう今月まで尾を引いて、私の神経は張りつめっぱなしだった。
その間、本欄に書こうと思う話題がどんどんたまって、消化できないでいた。 それを思い出して書き、9月に入ったらブログ小説も再開しようと思うが、顔もわからない塾生たちは、私にとって非常に興味がある。
さまざまな知識や話題を提供してくれるし、作品の内容も、教室生とは違ったものが多い。 新潟で漁業関係の仕事をしている女性によれば、土用の丑の日に、鰻は売れずにサンマの蒲焼が大いに売れたそうだ。
北京在住(留学)の女性は、オリンピックの準備のために下宿を追い出されるというメール以後、消息を絶ってしまった。 中国の最近の情勢からして、ちょっと心配になったが、オリンピック見物で忙しいか、夏のバカンスに出かけているのかもしれない。私としては、メールがくるのを辛抱強く待つしかない。
やる気のない人は催促しても書かないとわかっているからなのだが、彼女から得た知識その1は、中国では「割り勘」という習慣がないそうだ。
これで思い出したのは、私の学生時代、教授や先輩と一緒に飲みに行くということは、おごってもらえるということだった。 早慶戦帰りに仲間たちとビアホールで飲んでいると、「俺は君らの先輩だ」というおじさんがしばしば割り込んできて自分の学生時代を語り、
「今の学生ははなっとらん」などと気炎を上げ、ご機嫌で伝票をさらって勘定して帰って行ったものである。
その2は、「中国では老人が電車に乗ってくると、若者たちが競争で席をゆずります、いえ韓国でもそうです。
日本人が失ってしまったものです」ということだった。日本でそういう習慣が廃れて行ったのは昭和40年代だったと記憶する。
一般人の海外渡航が自由になったのは昭和39年の4月だった。日本人は憧れていたアメリカへ殺到した。
アメションという言葉がはやった。アメリカへ行ってションベンして帰ったという意味で、 ちょこっとアメリカへ行ってきた若い女性たちが「アメリカでは××よ。日本は遅れている、ダメね」などとたばこをふかし、
電車で足を組んで得意になっていた。憧れのヤンキー娘を真似たのだと、はっきりわかった。
「アメリカ人になりたい日本人」という陰口がささやかれた。 「乗車券を買ったのだから座る権利がある」「個人の自由だ」と、日本人は急速にアメリカ人になって行き、
日本女性のしとやかさ、つつましさが失われた。かつてヤンキー娘といえば明るく賑やかで軽薄で気の強い娘とされていたが、 今は日本もその通りになったと私は観察している。
No.1055 回想の原則 2008年5月日25日
〔先日の批評から──長年コンクールの審査をやりましたが、審査員の中には、私とまったく違って、極端に回想を嫌う人がおられました。新人が回想を使えば必ず混乱するというお考えからでした。そこで、先日ある人に書いた批評、つまり私の意見を抜粋して載せます〕
回想の原則について。
1−回想は混乱のもとだから、ここは絶対回想にすべきだと信じる部分以外は使わぬこと。
2−回想は、特定の人物(例えばA)が思い描くのだから、Aが知るはずのないことが出てきてはいけない。回想場面にはAが出っぱなしか、少なくともAが知り得る内容でなければならない。回想と過去はちがう。
3−Aの表情から回想シーンに入り、回想が終ったらAの表情にもどるというのが、これまでの一般的な手法です。上達すれば特殊な手法もありますが、とにかく大事なのはどこからどこまでが回想かを、テレビ画面を見ている人がわかるようにしなければいけない。(回想)と書けばいいというものではない。現実の続きと思われてはいけないし、いつの間にか回想から現実に戻っていて、わけがわからなくなるというのも困る。ドラマは小説と違って前のページに戻って読み直すということが出来ない。
4−回想や空想は、それをするだけの時間的余裕が必要です。例えば人と真剣に会話しながらのんびりした場面を浮かべるというのは不自然。フラッシュなら別だが、通常はゆったりした気分の時にするのがいい。
No.1054 犬も歩けば棒に当たる 2008年4月19日
邂逅の妙味といいますが、人と人との出会い、めぐり逢いとはまったく思いがけないものですね。
さっき木山直子さんからのしらせが届きました。
夫の裕策君が明日日テレに出演するというのですが、私の番組に昔でていた(そのころは駆け出しだった)福留氏の番組だそうです。
彼女からの報せは当ページの「ブクロジュクからのおしらせ」に転載しました。
前日に報せてくるとは、早口だけどちょっとトロイ直子さんらしいと思いますが、どうか応援のつもりで見てあげてください。
なお、長らく続けてきた掲示板「ブクロご意見板」は、迷惑投稿が多いので廃止しました。
旧友や仲間に報せたいことは、当塾や私宛に送ってください。「ブクロジュクからのおしらせ」に転載します。
No.1053 教えることは教わること 2008年4月9日
一昨日のゼミで、A君がB君の作品について意見をいった中で、
「その人物はキャリアウーマンなのだから、周囲の人望を集めているはず。
そんな厭味なことをいわせるのは不自然」と発言し、私は「キャリアウーマンだからこうこう、と決めつけるのは間違っている。
キャリアウーマンにも様々な人がいる。仕事のできる人には理解を示すが、無能な部下には冷たいという人もいるだろうし……」と指摘したのですが、
これは若いころ自分が反省点として常に心がけていたことだと思い出したのです。
学者だから、役人だからと、人物を十把一絡げにして決めつけがちだがそれは間違いと、
多分私も誰かに、あるいは入門書から教わったのだろうと思うのですが、
これはキャラクター設定でよく陥ることで、もちろん職業柄という枠はあるけど、
それ以前にその人の歴史をもった人間であり、人それぞれであって、先入観にとらわれるとユニークな、
或いは魅力的な人物を創造することはできないものです。
他人の作品を批評していて、逆に自分が反省するということはよくあり、
常に生徒からも吸収している、ギブアンドテイクだなと感じるのです。
No.1052 人の才能 2008年4月7日
人は思いがけないところで才能を発揮するもの、とはしばしば感じることです。
でもそれは私の場合たかだか「物書き」の世界でのことであって、恋愛ドラマを書きたがっていた人がコメディーで成功したり、
ホームドラマを書いてうまくいかなかった人がポルノ小説の大物になったりという程度のことで、
まさか人気歌手が生まれようとは思っていませんでした。
私のゼミの仲間同士で結婚した木山裕策・直子夫妻が見てくれというので、
昨夜日テレの「行列のできる法律相談所」という番組にチャンネルをあわせたところ、
歌手デビューした裕策君が歌ったのです。たのまれて結婚式に飛び入りで歌うという設定だったのですが、
まさか彼がと、びっくりしたほどの素晴らしい歌で、花嫁の父を感動させ、泣かせる番組になっていました。
実はその数日前に直子さんが4人の男の子をつれてわが家へ遊びに来て、DVDを見せてくれたのですが、
その時は子どもたちが賑やかで楽しく、子ども好きの私はそっちのほうに気を取られてしまい、
才能ある作曲家と出会ってよかったねといった程度だったのですが、改めて見て、裕策君の個性的な美声に驚かされました。
また、彼らよりはずっと後輩の現在のゼミ生で、大学1年生のときから来ている慶応ボーイが今年日テレに入社して、
今日彼のためのお祝い飲み会をやってたまたまわかったのですが、
すでに研修を始めている彼は、「ええ!? 木山さんならオーディションの時からずっとおつあいしています。本当ですか!」
と奇遇にまた驚いた次第で、作家志望からプロデューサーコースへ転向した彼もまた才能を発揮するに違いないと私は確信しています。
木山君はこれからの出演予定もあるとのこと、思いがけなかった先輩後輩が楽しく仕事をしてくれることを願っています。
No.1051 生徒のタイプについて 2008年3月10日
長らく脚本の指導をしてきましたが、例えば学校で歴史の講義をするのと全く違うのは、
マニュアル通りの内容を押しつけるのではなく、その人その人の個性、
性格などを観察しながらそれぞれの優れたものを「引き出す作業」という点です。
これからシナリオを勉強しようという人への参考として、
昨年11月に始まって今年4月に卒業する「脚本家教室」の本科(初級者)で、
私が担当している6人の人たちを例にあげて説明してみましょう。
あなたがこの6人の内のどのタイプか、それとも全くちがったタイプか、
どう違うのかを見極めるのも一つの手がかりとして大事なことだと思います。
まず覚えてほしいのは、昨今、一般教育においても個性尊重が叫ばれますが、
小学校ではまず「九九」と「文字」を丸暗記しなければ、個性の発揮どころか、何の勉強も身につきません。
これはシナリオも全く同じことで、シナリオにおける「九九」や「文字」を丸暗記しなければシナリオライターにはなれない、
或いは無駄に時間がかかってしまうということです。
半年の間に指導会というのが4回あり、今、3回目が終ったところで、いうまでもなく「丸暗記」の期間です。
まずはプロットを書いてもらい、プロットが完成したらシナリオに進んでもらうことにしていますが、
半年内にシナリオにこぎ着ける人というのは稀です。
今回の6人も、いつもと同じように1回目はまるでプロットの型式にもなっていないものでした。
プロットを説明して2回目に挑んでもらいましたが、2回目もパッとしません。
そこで特訓をしました。それは「テレビドラマ創作講座」にある「桃太郎あそび」の説明で、
いわばシナリオの「九九」「文字」などの一つといってもいいでしょう。
何人かの人がその本は持っているといいましたが、持っているけど読んでいないという人もいるのです。
これでは何にもならないので、2回目は急遽特訓ということになったのです。
これによって3回目(3日の月曜日)は明らかに進歩のあとが見られました。
一人一人の進歩の状況を説明します。
Oさん──漸進型。1回目から2回目、3回目と遅いが確実に進歩している。
2回目でプロットの型式になっていたのはこの人だけ。
でも4回目にシナリオに進むというには、一歩届かなかった。
Sさん──素直に吸収するタイプ。2回目までは全然ダメだった人。
特訓で最も効果のあった人。
本もよく読んで、3回目に「三段跳び」と私が評価したほどの上達。
こういう人が伸びると私は観察している。シナリオに進んでもらった。
Tさん──熟慮慎重型。2回目の特訓は会社の仕事が忙しく欠席。
書けない人ではないのだが、自分の書いた作品に自信を持てず、
もっと直してから提出したいといって、中々作品が出ない。
出なければ批評も出来ないので、積極的に提出してほしい。
H 君──天性型。2回目は卒論が忙しく欠席。
だが3回目のプロットはいい出来だったので、
4回目はシナリオにしてもらうことにした。
特訓なしでもこういう人はいる。
でもこういう人も、今後真剣にやらないと成功はしない。
努力次第とアドバイスした
F 君──理想型(ひょっとしたら脱落型)。2回目の特訓は受けたが3回目はなぜか欠席。
郷里広島のことを書きたいということで、特訓のときは目を輝かせていたので
期待したが、3回目は作品が出なかった。
教室へ提出出来なくてもネットで送ってくるようにいってあるけどまだ来ない。
こういうタイプは脱落して半年間でやめる人が多い。
送ってくることを期待している。
Hさん──反抗むっつり型。2回目まで私の指導に懐疑的だった。
特訓でもあまり素直にわかったとはいわない人。
でも3回目は飛躍的に進歩し、シナリオに進んだ。
こちらが疲れるタイプで、「九九」をおぼえる段階で個性を発揮するのは
無駄なことだから、素直に吸収(丸暗記)したほうが本人の得。
6人の中で3人がシナリオに進んだのは珍しく、4回目にはどんな作品に仕上がってくるか楽しみにしています。
塾生の場合、初級はこの「桃太郎あそび」を丸暗記してもらっていますが、本も熟読してその他の「九九」も丸暗記してもらいたいのです。
No.1050 愛情物語について 2008年1月8日
明けましておめでとうございます。昨年の後半はブログ小説にとりかかりましたが、
道楽で始めたネット商法(開発した釣り具の商品化)が思いの外好調な売れゆきとなって手をとられました。
ブクロジュクの塾生も増えて、こちらは真剣に対応しなければならないので、この欄には長いご無沙汰を続けてしまいました。
松がとれて、やっと年賀状への対応もおわり、ホッとしたところです。
中途半端だったブログ小説の直しに入る前に、今日批評した塾生の作品を一つご紹介します。
父と娘が不仲になったまま父が亡くなる。父の霊前で、その娘が父とのいさかいの原因を弟と語り合うという内容なのですが、
作者はこの話を感動的に仕上げたいがなかなかうまいかないとのことでした。
もちろん感動で締めくくらなければ愛情物語は成り立たないのですが、この場合、いさかいの原因への後悔だけでは展開は難しくなります。
後悔を際立たせるためには、父との美しい思い出が欠かせません。多くの名作がその辺に焦点をあてています。
自分が父を大好きだった頃の思い出の一駒一齣を描くことによって効果を発揮させています。
不幸せと幸せの落差が、観客を感動に導いているのです。
現代の父と娘の間にはどんな愛情物語があるのか、さまざまな例をあげて見せてください。
No.1049 ブログ小説連載のご挨拶 2007年8月1日
気まぐれな私は、商品化したテンビンが売れ始めたら、なぜか急に小説を書きたくなり、今月から連載することにしました。
終戦直後の池袋を舞台に、戦争未亡人と特攻隊の生き残り(特攻くずれ)の恋──真剣に生きていた時代の日本人を書くつもりです。
トップページ中段の欄から、新設したブログへとんで見くだされば幸いです。
No.1048 橋本君からのメール 2007年7月26日
橋本敦司君からのメールをご紹介します。皆さんも是非見てあげてください。
売れっ子だし、滅多にこんなこといってくる人ではないので、よほど自信があるのでしょう。
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ご無沙汰しております。てれすこの橋本です。
実は、今週28日土曜日の午前10時30分〜 11時30分の1時間、
「トトロの森を描いた人」 というドキュメンタリーを放送します。
ボクが構成を担当した番組です。「となりのトトロ」など、ジブリ作品の背景画を担当してきた方に焦点を当てつつ、
その舞台となった「残したい日本の原風景」をハイビジョンカメラで記録する、という内容です。
■サツキとメイの家、群馬にあったモデルの日本家屋 とか
■「もののけ姫」の“神々の棲む森”の舞台・白神山地の夜明けと雲海
■ 「ハウルの動く城」 天空の庭園のモデルとなった千沼ヶ原
〜〜など、日本ならではの「残したい風景」を、発見しています。
そして何より!
ボクのナレーションを、吉永小百合さんが読んでくれたんです!
一字一句違えず、完全に読み込み、練習してボクの書いた意図や言葉の抑揚などをくみ取り、
心のこもったナレーションを読んでくださいました。なんか、胸が熱くなりました。
ナレーションとしても、今できる精一杯を出し切ったつもりです。
これまでの集大成的な番組、かも。
ぜひ、先生にご覧になっていただきたいと思ってメールいたしました。
お時間あったら、是非、ご覧下さい!!
No.1047 松井君からの報告 2007年7月10日
かつての生徒、松井君からのメールを、彼の了解を得たのでご紹介します。
彼は作曲家の故・渡辺岳夫氏からの紹介で私のところへきた人なので、
考えるとかなり昔だったなとの感慨があります。
吉川監督との仕事が多いようですが、吉川さんのデビュー作の脚本は私でした。
もうかなりのベテラン監督でしょう。
私も楽しみにしていますが、皆さんも見て、掲示板へ感想を書いてあげてください。
丘みつ子さんも、私の作品には数多く出てくれた人ですが、まだご活躍のようですね。
可愛かったけど、少しは年をとったかな、なんて不謹慎なこともチラッと考えています。
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大変ご無沙汰しております。お変わりなく、お過ごしでしょうか。
ホームページのコンテンツ、興味深く拝読しております。
私の方は、遅々とした歩みから未だ抜けられずそれでもまだ何とか、書く世界で踏ん張っております。
明日、11日(水)午後9時から、作品がオンエアされます。やはり、鉄道警察隊を舞台にしたシリーズの続編です。
水曜ミステリー9(テレビ東京系 21:00〜)
「鉄道警察官・清村公三郎」SL貴婦人・殺意の小京都
出演:小林稔侍、平泉成、有森成実、平淑恵、丘みつ子、他
監督:吉川一義
日々の細かい締め切りに追われお知らせがギリギリになって申し訳ありませんでした。
私も、厄年を過ぎて、体力の低下を実感しています。今年の夏は暑くなりそうです。
くれぐれもお身体、ご自愛くださいませ。
♪♪♪
松井信幸♪♪♪
No.1046 浅井君からの報告 2007年6月11日
ニューヨークへ行っていた塾生の浅井君からメールが届きました。とても新鮮なニュースだったので、皆さんにも読んでもらいたく、浅井君同意の上で、掲示板へ転載させてもらいました。
浅井君はベテランの広告マンで、CM、PVのプロデューサーなのですが、思うところあって一旦仕事を休み、脚本の勉強をしています。実家にこもって修行に専念するにあたって、アメリカを見直してこようと出かけていました。ぜひ読んでください。
No.1045 記念日のすすめ 2007年5月17日
私の脚本家としてのデビューは昭和37年5月11日でしたので、今年は45周年になります。だからといって別にどうということはないのですが、何か記念日があるたびに新しいことに挑戦したくなる癖が私にはあって、70歳の誕生日に一念発起して特許をとる勉強を始め、2年数カ月目に最初の特許を取得、更に2年たった今月、その特許を商品化して発売することになりました。興味のあるかたは、このページとリンクを張っているi-bukuroというページにとんで見てください。今後もいろいろ特許をとってネット商法をひろげるつもりです。
このデビュー45周年記念日にも、一つ新しい目標をたてました。挫折するとみっともないので、具体的に動きだしてから発表することにしています。皆さんも、何か理屈をつけて自分の記念日を作り、思ってもみなかった新しいことに挑戦してみませんか。その度に新鮮な空気がたくさん肺に入ってきて、世の中が明るくなるような気がして楽しいものです。
No.1044 みのるプロジェクトについて 2007年4月4日
昨日新しく相互リンクをはった「みのるプロジェクト」は、私の早大時代の同級生、故・三浦実の語録・講義録を発行しようというものです。
22年前、日本脚本家連盟の理事会において、「脚本家教室(当時は放送作家教室)・作詞教室のほかにもう一つ何か教室をやろう」ということになり、当時教育事業委員長だった私がその任にあたることになりました。その頃各方面から「誰かこういう物を書いてくれる新人を紹介してくれませんか」という依頼が多く、エッセイ・紀行文等々、実に幅広い分野で文章家が求められはじめたのに呆れ、脚本の勉強をしている人ではこなしきれなくなったので、「とにかくペン1本でメシを食える人たちを育てよう」と考えました。
そこで迷わず電話したのが三浦でした。彼はマガジンハウスで各誌の編集長・発行人などをやって広い人脈を持っていたからです。講師陣にあらゆる道の「ペンでメシを食っているプロ」を集めるのに最適任でした。もちろん彼自身にも講師をやってくれとたのみ、以来昨年逝去の間際まで続けてくれました。学生時代からペンも弁もたつ男だったし、人柄も磊落かと思えばガキっぽく、素朴で人情味豊かな東北庶民の代表みたいな奴だっただけに、大変な人気でした。その教え子数百人が彼の死を悼んで、彼が連発した「発表しなければ惜しい言葉」「物書き志望者にとっての珠玉のアドバイス集」を本にまとめたい、といってきた時、私は「さすが三浦、よかったな」と心で叫んでいました。
巻頭言を私が書くことになっています。細かいことは集められた教え子たちの文章を読んでからにしますが、今、走り書きしました。三浦実との出会いは大学に入って同級生になった1957年4月、丁度半世紀後にせっかく咲いた桜の残り少ない花弁を、今黄砂を伴った雷雨が叩いている……〔これは変わりますね。発刊されるのは多分五月晴れの日でしょうから〕
あとでニュースを見たら、あの強い雨には小雪が混じっていたという。花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ──しみじみ思います。
No.1043 昨日の批評より 2007年4月3日
インタラクティブドラマは、5枚プロットのうちの1枚ずつを書いてもらっているのに、そのたった1枚の中に、
はっきりと新人が陥りやすい部分を露呈している。主役と脇役の混同、テーマからはずれた方向への話の進展、
人物の心理、性格に沿わない描きかたなど、こういうところを直していかないといけないと痛感した。
1枚1枚の細部を大事に書かなければ、いいプロットに仕上がるはずがない。
シナリオの2本も、以上の欠点を払拭できていない。ことに人物の意識、心理の流れを無視した部分が目立つ。
作者はそれを克明に追う必要がある。自分で演じ、台詞を喋ってみるとその不自然さがわかる。
Aさんの作品の恋人同士、Bさんの作品の父と娘──たがいに深く愛する者同士ならどう考え、
行動するかをみつめ(自分の中から生み出し)て的確に表現すれば、観客の中に眠っている〔未開発の共鳴〕を呼び覚ます優れたドラマになる。
なお、今の若者は総体的にボキャヒンだから、語彙を豊富にするため、類語辞典を使うことをすすめる。
No.1042 古いメモから 2007年3月10日
物書きはみなメモ魔だといった人がいたが、私も若いころからよくメモってきた。そんな古いノートから──幕末期の重要な資料「老人六歌仙」より、となっているが、何から書き取ったかはおぼえていない。とにかくその6首を書き写す。
1−皺がよる 黒子ができる 背は縮む 天窓(あたま)ははげる 毛は白くなる
2−手はふるう 足はよろつく 歯は抜ける 耳は聞こえず 目はうとくなる
3−手にあうは 頭巾襟巻き 杖眼鏡 たんぽ温石 しびん 孫の手
4−くどくなる 気短になる 愚痴になる 心はひがむ 身はふるふなり
5−聞きたがる 死にとむながる 淋しがる 出しゃばりたがる 世話やきたがる
6−またしても、同じ咄に 子を誉むる 達者自慢に 人はいやがる
若いころ、私はどんな思いでこれをメモったのだろうと考える。興味を持ったから書き写したにちがいないが、どの程度わかっていたか。そして今、これを書いたのが若者なら、すごい観察眼だと感心する。いやな奴だが、人を笑わせる才能、風刺の姿勢はすばらしい。老人が書いたとしたら、これまたよくも嫌がらず冷静に自分(または仲間)を描き取ったものと唸ってしまう。いずれにしても、悲しむべき人間の肉体の衰えを、面白がって書いているのが愉快だ。老眼を嘆く人もいれば、おかげで初めてメガネをかけて、自分がメガネ美人とわかってワクワクしながらメガネを楽しんでいる人もいる。何ごとによらず、人生の悲劇を面白がって生きる精神というのが私は好きだ。
No.1041 テレビドラマの素材 2007年3月9日
先日、昔の生徒たちが遊びにきて、彼らと同じ頃のゼミ生の話題で盛り上がった。個性的な人が多かったので、話は尽きなかったが、その中に、かつて「ストリップの女王」と呼ばれた有名な女性の名が出て、懐かしく思い出した。
書ける人だった。何しろ一般人が知らない人たちが続々登場するドラマを書いてくるのだから、驚きの連続といっては大袈裟かもしれないが、とにかくユニークな作品ばかりだったことは間違いない。材料は豊富だし、絶好の見せ場になる実話をふんだんに体験しているので、大いに期待した。プライドを捨てなければ生きられないストリッパーのヒモと、彼を憎からず思う大物ストリッパーの恋物語など、涙と笑いの物語を次々に書いてきた。当時の私は批評をノートに書いて行って教室で発表するという形をとっていたので、そのノートが残っている。ゼミに2年あまりいたあいだ、彼女は10本近く書いている。何本目の作品だったか、私は「あなたの作品は傑作だが、残念ながらテレビには向かない」といって、小説に転向するようにすすめた。でも彼女は聞かず、どうしてもテレビでやってもらいたいといい、私も、単発では絶対無理だが、1クール(13本)書きためたらプロデューサーに売り込んでみようと思っていた。ひょっとしたら物好きなプロデューサーがいるかもしれないと考えた。
だが、彼女は突然家庭の事情とかで、やめて行った。その後くれた手紙では、いろいろ問題を抱えているらしく、誰しも生きるということは大変なんだなと思ったのをおぼえている。書いたシナリオを小説にして雑誌社に売り込むようすすめたが、その後音信を聞かない。
ここでみなさんにいいたかったのは、珍しい話というのはテレビでは受け入れられにくい、ということである。一見当たりそうな気はするが、なかなか企画は通らない。共鳴する視聴者層が狭いからだ。「平凡は共鳴の宝庫」とテキストにも書いたが、「自分そっくりの奴」に、人は最も興味をもつ。いつも挙げる例だが「29歳で彼のない平凡な女の子は、29歳で彼のない平凡な女の子の生きかたには無関心ではいられない」のは確かなようだ。そして、今そういう結婚しない女の子(視聴者)は多い。
No.1040 昨日の批評より 2007年2月15日
「ハウス マヌカン」──せっかくいい話なのに、父が芝居をさらってしまい、23歳というヒロインが中学生なみの知能程度に感じられる。父のいっていることは正しいのだが、理詰めで喋りまくる父は魅力を感じない。年をとれば若者より物事を知っているのは当たり前であって、自分の若いころを思い出して、もっと相手を理解しようという姿勢がほしい。極端ないい方をするなら、父の台詞を3割ぐらいに減らしてヒロインにまわさないとさないと、肝心なヒロインがたたない。
自分に向かない仕事を誠実にこなし、人生を黙々と地道に歩んできた父、嫌気がさした父、山にこもった父──そんな父を見てきたヒロインのほうから「お父さん、何とかいってよ。応援してよ。お父さんならわかるでしょう。私、生きるってことは自分が後悔しない生き方をすることだと思うの。お父さんを見てきてつくづくわかったの。ちがう?」といわせたい。自分で考え、行動しないヒロインなんか魅力ない。
そんな風に娘から迫られた父としても、賛成の意思表示としてまともに「賛成だよ」というのでは人間臭くない。「大人になったな」あるいは「羨ましいよ」と潤んだ目でボソッと、優しい顔の芝居でうなずかせたい。そのひと言に父自身の「人生」がずっしりと重くのしかかっているような、そんな値打ちのある台詞になればすばらしいドラマになる。
「子はかすがい?」──夫婦にとって子どもはかすがいになるかどうか、という話なら、もっと深く掘り下げて、説得力ある作者の意見、新鮮な見解がなければ面白くならくない。このパターン、大体7〜8割は「なる」という結末ではないかと思うのだが、そうするなら、もっと意外性、強い葛藤がほしい。
むろん主人公夫婦が中心で、大事なサブは主人公の親たちと弟なのであって、ほかの人物がいろいろ出てきてガヤガヤいっても、なんらサスペンスを生むわけでもなければ、台詞の意味も軽い。「自分たち兄弟は、若いころはたしかにかすがいだったが、結婚した今も、今後もかすがいであり続けることができるかどうか」に焦点をしぼってほしい。
No.1039 今日の批評より 2007年2月6日
「ワーキングガールに微笑みを」──一応の完成といえますね。さらに推敲するに当たっての注意を。技術的には、台詞が多すぎることに気を配ってほしい。ラジオドラマではないので、全部喋らないこと。俳優は演技をしたいのです。12ページ4行目の場合、二郎「俺は怒ってるんだ」といわせず、二郎「(怒りを抑えて)・・・」としたほうが、この人物らしいキャラクターでしょう。できたら音楽も計算に入れて台詞を省略することも考えるべきです。台詞は理屈で伝えるが、音楽は直接感性に訴えるので、視聴者の心に効果的に響きます。
テーマ的にも、もっと自分を深く掘り下げてほしい。奇をてらうのはいけないが、自分独自の考え方、人間観察、好み、希望などがあなたの底に眠っているはずなので、それを見つけ出して、本音をぶつけるものであってほしい。苦しい作業だろうが、もっともっと自分をみつめること。大袈裟にいえば、心臓を切り開いて見せるというところまで。
ことにOL物のラブストーリーはやりつくされているだけに、ユニークなセールスポイントが大事です。ここが新鮮なんだというものを発見する「目」を持ってほしい。
No.1038 マナー違反 2007年2月3日
今月1日、夜中に親指が痒くて目が覚めた。釣りのシーズンなら竿に漆を塗るのでかぶれたことがあるが、今ごろおかしいなと思いながら痒み止めを塗って布団に入った。しばらくするとブーンと耳元をかすめる蚊の羽音。びっくりしてとび起き、季節外れの蚊とりマットを探し出してコンセントに差し込んだ。再び布団にもぐりこんで、思い出したのは江戸時代の川柳だった。「世の中に か(蚊)ほどうるさきものはなし ぶんぶ(文武)といいて 夜も眠れず」──軍国少年だったころ、文武両道などという言葉は日常よく聞いた。勉強しろ、体を鍛えろなどといつもいわれ、たしかにうるさいので、その心がよくわかった。
ところで、私の住んでいる池袋でも、昭和30年代までは積雪20〜30センチということは、年に数回あるのが当たり前だった。子どもの頃、通学中に積もった雪が長靴の上から入った経験もある。アスファルトではないから、雪解けのぬかるみにも閉口した。ところが今年はいまだに初雪を見ない。北極の氷もどんどん解けていると聞く。だからといって、この真冬に蚊が出てきて元気で刺すとはマナー違反ではないか。いつものように、大体11月から梅雨時までは引っ込んでいてほしいものだ。
暖かいから蚊が出るんだと、また起き上がって暖房を切ったが、その後で気づいた。そうか、俺も地球温暖化をすすめるマナー違反者だった。昔は今より寒かったのに、煎餅蒲団にくるまって縮まり、体を固くして寝ていた。人間も蚊も、自然の摂理に順応したから、日本は四季のある美しい国だった。
No.1037 昨日の批評より 2007年1月31日
1−「バージン・ラブ」──すばらしい出来といえる。この作品そのものは「若いくせに古い」といわれるかもしれないが、それでいい。作者の人生観が古くても、それがあなたの個性なのだから、ゆがめてはいけない。世の中に迎合するのはさらによくない。その人が本来持っているものを素直に描き出せば、きっと共感されるはずです。岐阜でずっとご両親とともに暮らしている人でなければ書けない真実が出ている。故郷のすばらしさと、それに対する熱い思い──その中にいる自分をしっかり見据えて書き続けてください。
2−「セックスレスの女たち」──以前コンクールで読んだあなたの作品に比べると、はるかに落ちる。作品に取り組む姿勢が中途半端です。くだらない男に、セックスゆえのめり込んで行く女の悲劇、というパターンに徹するなら、それはそれで共鳴があるでしょう。今の仕事ゆえのセックスレスという問題に真正面から取り組むのも意味がある。そのどっちかにしなければいけない。様々な女性群像を描こうとするのは欲張りすぎて、焦点が定まりません。正直いって、私が審査員なら半分以後は読まないでしょう。コンクールに出すなら初めから書き直しですね。
セックスレスという素材はあなたに向いていないのではないかと思いますが、自問してみてください。空想の域を出ていない。こういう話はよくあったことで、セックスレスという言葉に便乗しようとしているのならやめたほうがいい。ヒロインに魅力がない。主人公を演じるのはトップスターだということを忘れないこと。演じて観客から嫌われるような役は、彼ら彼女らはやりたがらない。魅力のない人物はスターも嫌うし、ドラマも面白くはならない。人物に魅力がないドラマは魅力ないのです。
No.1036 意図を忖度する 2007年1月30日
今朝の朝日新聞1面トップ『NHKに賠償命令』という記事に、『東京高裁「議員の意図忖度」』とあるのを見て、アレ?と思った。若者たちが見て読めるかな、意味がわかるかなという疑問だった。今回この欄でとりあげたのは、決して「ヘンな日本語ヘンな敬語」のたぐいではないからで、最近はほとんど聞かなくなったが、いつごろまでだったか、この言葉はザラに使われていた。
忖度(そんたく)を、広辞苑は『(「忖」も「度」も、はかる意)他人の心中をおしはかること。推察。「相手の気持を−する」』と解説している。いつもながら日本語の語彙の豊富さを痛感する。見出しにはなかったが記事のほうにはルビをふってあった。でも意味がわかる若者は少ないと思う。だから新聞で使うべきではないなどというつもりは毛頭ない。若者にも理解させるために使うべきだ。彼らは辞書はひきたがらないが、常時手にしている携帯の検索で知識を得るだろう。
ただ、テレビドラマの脚本の場合は使わないほうがいい。「テキスト1」の「誤字・難字・辞書」にも書いたが、若い俳優、いやディレクターにも、理解できない人がいると思う。耳で聞くだけの視聴者にはなおさらのことで、すんなりわかる表現が必要であり、広辞苑の解説の通り「推察」とするか、あるいはもっとわかりやすく「意図を汲み取る」とするのがよかろう。ほかの言葉も、耳から入ってわかるかなと不安がある場合、類語辞典をひいて探してほしいものだ。
No.1035 風林火山 2007年1月8日
昨夜の「風林火山」は見応えがあった。私はこの原作(井上靖)は読んでいないが、脚本はすぐれていた。 昨年の「一豊の妻」の脚本もよかったが、途中から太閤記の亜流にならざるを得なかったのが残念だった。
そこへいくと山本勘助は、実在したかどうかもわからない謎めいた人物(実在した山本菅助に天才的兵法家の伝説を仮託した可能性も高い)だけに、 脚本家は自由に腕をふるえる。生没年も定かではないので、川中島の合戦で戦死したという言い伝えさえくつがえすことができる。
早速イントロで、「板垣信方の推挙で武田氏に仕えた」とされる物語を、はるかにドラマティックな内容に変えていた。 朝日新聞のテレビ欄は「三船敏郎演じた映画版の勘助のような迫力を出せるかどうか」と書いているが、私は内野聖陽のほうに期待する。
三船はたしかに世界的な大スターだが、何を演じてもワンパターンだったように思う。 内野は「蝉しぐれ」の恋と怒りと悲しみに耐えて生きる男とはガラッと変身して、野性味あふれる役にはまっていた。
戦国と江戸の武士の典型、二通りのまったく違った生きざまをこなしている。 さらに「配役が大河にしては地味な印象」と書いている。私はアイドルやタレントの学芸会のような大河にはうんざりしている。
内野は現代には少ない役者といえる俳優だし、相手役の貫地谷しほりという女優は初めて見たが、しっかり芝居をしていた。 派手ならいいというものではない。藤山寛美はいいホンがあればいい芝居ができるといっていたが、いい役者がいなければ脚本家もノレない。
軍師にはあまり似つかわしくないラブストーリーを織りまぜるらしい。今度は内野にどんな恋をさせるのか、脚本の展開と主役の演技に期待したい。
No.1034 新年おめでとうございます 2007年1月1日
去年は色々なことに手を広げすぎ、自分を「多忙」に追い込んでしまいました。今年は少し的をしぼろうと思います。
buhurojukuのほうも、初心者が入りにくいというメールをたくさん頂きます。
友人たちからも「もう何人か大物を育ててほしい」といわれ、
すでに書き始めている人に焦点をしぼっていたようなので、今年はもっと裾をひろげて、
埋もれている初心者の才能を引き出すことに力を入れようと思います。
ほかにも、新年にあたっていろいろ考えていますが、徐々に実行していきます。
自分の次回作の構想も練り始めて、面白い年になりそうです。
皆さんも「自分が面白がることのできる年」にしてほしいと願っております。ともに、一歩一歩前進したいものです。